体験や感情の記録

ユウのプロフィール。日立グループに入社→ローン繰り上げ返済&脱サラ→起業するまでの物語

はじめまして、ユウです。

ここでは僕の自己紹介をしたいと思います。

まず簡単に現在やってることを挙げると、

ポイント

  • ブログやYouTubeやインスタなどのメディア運営
  • 総数1000人以上の読者がいるメルマガ発行
  • ダイエットや美容など様々なジャンルで物を売ってる

などです。

上記の活動によって、
年間で1000万円の利益があります。

基本的にいずれも
インターネットを使って
勝手にものが売れていく仕組み
を作って
それで収入を得て生計を立てています。

最初はサラリーマンでしたが、
タイトルにもあるとおり脱サラして

  • 今はPC一台あればどこでも仕事ができる
  • 会社に拘束されることもない
  • 余裕で暮らせる財力も持ってる

まぁ典型的な怪しいやつですよね。
スーパーうさんくさい。

そんな怪しいやつの僕ですが、
これまでいろんな物を売ってきました。

制汗剤から始まり、家電、健康食品、
ネット回線、パーソナルトレーナー斡旋
などなど。

後で詳しく話しますが、
モノを売る力というのは人生において
非常に重要
だと僕は考えています。

ぶっちゃけ、会社でどれだけ
世の中に貢献できるモノを作っても
売れなきゃ全然意味が無いから。

でも、それが人を使わず
ネットを使ってできるなら
汗水垂らして働くこともないし、

僕のような個人でやってる場合は
やらしい話、一生お金に困ることは
無くなります。

まぁそれは一旦置いといて、
そもそも僕がどんな人間だったか
お話ししていきたいと思います。

ネットで稼ぐ仕組みを作る前の僕は、

  • ビジネスとは無縁の人生
  • 将来やりたいことがない
  • 没頭できるものもない
  • 小学1年生の頃にピアノを習ってたけど、辞めたいと言えず6年生まで続ける
  • 周りと違うことをするのに抵抗があった
  • 高校生の頃に親の給料ゼロ時代があったことから【お金に対する執着】と【安定企業に入る】ことが将来の目標になった
  • 人前で話したり、目立つ行動が苦手
  • コミュ力低い、そこまで友達も多くない
  • 楽しさよりも不安が多い人生

こんな感じで、
ちょっとネガティブ要素が多いですね。

親の給料ゼロっていう期間が
ちょっとありましたが、
それ以外は普通の家庭に生まれ育ってきた
まぁどこにでもいる普通の人だと
思ってください。

ただ、楽観的に生きるというより
あれこれ周りの目を気にしたり、
細かいことまで考える、要するに神経質で
ネガティブに考えることが多かったです。

性格はよく誤解されますが、
"頑張り屋"ではなく、"我慢強い"わけでもないです。
むしろその逆。性根は怠け者で
「辞めたい」、「諦めたい」と言えない
ただの臆病者でした。

そんな臆病者の僕は
【社会人になって充実した人生を送れるか?】
これが人生の課題に思ってました。

高校生の頃に
【お金に対する執着心】が生まれてからは
"安定した企業に入る"

受験も就職も全部このためだけに
やってきたと言っても過言じゃありません。

要は安っぽい言葉で言うと、

"勝ち組になりたい"

そう思ってたんです。

というか、ならなきゃダメだみたいな、
謎の固定観念に囚われていました。

年収、
身につけているもの、
プライベート、
結婚、家族、
持ち家、

などなど。
全てひっくるめてですね。

一般常識的な感じから言うと、
意識高い女性とお付き合いできる時の
ステータスみたいなのが勝ち組の条件だ!
みたいな感じでした。

で、これらが自己満足できてるなら
まぁ別にいいじゃんと。
逆にできてないなら...

自分は後悔ない人生を送れるだろうか。
そんな感じで常日頃モヤモヤしてました。

で、現在はというと
上にあげてきた不安だとかは
一通り解消できたと思っていて、
それなりに充実感のある人生を送れています。

以下、そこに至るまでの話を
書き記してみました。

中学生時代までの生い立ち

僕は北海道札幌市生まれ
札幌育ち、一人っ子です。

小さい頃から大人しい性格で
引っ込み思案、人見知り。シャイ。

仲のいい友達と遊ぶには
全然問題ないけれど、

親しくないクラスメイトや大人、
親戚のおじさんおばさんと会うのが
勝手に苦痛になってたりして
小さい頃から殻に閉じこもってました。

そんな性格のせいで友達は少なめ。
小学校の友達4人くらいかな。
その仲間と集まってゲームして
よく遊んでました。

あとはピアノ。
友達の家がピアノ教室やってて
それがきっかけでピアノをやることに。

「うん、じゃあ、まぁ、やる」
みたいな歯切れの悪い感じで
はじめました。

特にピアノやりたいわけじゃなく、
友達と遊びたかっただけ、
遊ぶに至る理由が欲しかったんですね。

で、自分でやりたいと言い出した手前、
子供ながらに責任感というか
「辞めたら怒られるなぁ」とか
「やるって言ったんだからやらないとなぁ」とか
「でもめんどくさいなぁ」とか
そんなことを思ってました。

で、結果的にやりたくないピアノを
6年間続けることになるわけです。
「辞めたい」と言い出せずに。

ここでまぁ、サラリーマンのスキルというか
"忍耐力"、
"諦めてはいけない"、
"途中で投げ出さない"
みたいなものが形成されたと思います。

中学生になると
アクティブに過ごしたいと思って
バドミントン部に入部。

当時ぽっちゃり体型だったので
痩せたいし、運動神経良くなるから
一石二鳥だな、なんて思って入部。

だけど、人数が足りなくて廃部に...
結局下積みの1年しか経験せず、
基礎体力はついたけど、
バドミントンは出来ないっていう
消化不良な感じで僕の中学生アクティブライフは
幕を閉じました。

小学生の頃のピアノは
やりたくないのにやってたから
常に消化試合だったけど、
今回のバドミントンはやりたくて自分で選んだ。

だけどやりたいことを自分で選んでも
「なんか全然うまくいかないなー」
「つまんないなー人生って」って
思ったのを覚えてます。

そのあとの中学生活は帰宅部で
友達とゲームやる感じ。
基本小学生の時と
何ら変わらない生活を送りました。

お金に対する執着が生まれた高校生〜大学生時代

高校生でも帰宅部で
友達とゲームをやる日々。

そんな高校2年生のある日、
何ら刺激のない日々に
衝撃が走りました。

父の会社の経営が厳しく
給料ゼロが数ヶ月続くことに。

こんなの絶対NGなんですけどね。
かなりブラックですね。父の会社は。

給料ゼロの間は
貯金を切り崩して生活してたのを知ってたし
お金に関する夫婦喧嘩の頻度が多かったです。

母が「苦労かけるけどちょっと我慢してね」と
言ったものの、普段通りの生活を
させてくれてくれました。
両親が頑張ってくれたおかげだと思います。

たしかに外食の頻度は減ったし、
小遣いもうちょっとちょうだいなんて
気軽には言えなくなりました。

けど生活レベルをおとさずに
経済状況が逼迫してる中
僕を大学まで送り、
毎日飯を食わせてもらえたことには感謝しかありません。

両親が頑張ってくれたおかげで
生活はあまり変わんなかったですが、
僕の内心で変わったことといえば、
やたら金にたいして敏感になったことです。

友達の家に遊びに行ったときなどに
こいつんちは裕福だなとか

犬や猫を飼う余裕があるんだ...とか
ゲームソフト多すぎだろ...とか
こんなに種類いらねーだろって思う
靴箱から溢れているナイキのスニーカー

などなど。
やたら他人の家庭の財布事情を気にするんです。
かわいくないガキです。

そういった背景から

「俺は将来金持ちにならなきゃ」
「安定した企業に入らなければ」

お金に対する執着がハッキリと形成されて

将来の夢とか、
そんなものはどうでもいい
大事なのは金だ
安定した企業に入社する、コレが正義!

これが全てになったと思います。
それ以外は眼中にない。
こういった意識が形成されました。

そこからは猛勉強。
予備校に行くなんて無理なので
独学で勉強しまくる日々。

学年300人中200番くらいのやつが
平均20番くらい、
教科によっては1位を取ることもありました。

でもビリギャルのような
キラキラサクセスストーリーにはならず、

というか応用のきく勉強をしてなくて
今思えばノウハウ寄りというか、
本質を理解してない勉強方法。

例えばTOEICのリスニングで
コレが聞こえたら
Bを選ぶ、みたいな感じですね。

なので模試では全然点数が低くて
国公立は無理なレベル。
お金のかかる私立大学に入学することになりました。

ただ、その大学は日立と強いコネがあったので
これを利用しない手はない!と思って
フルで大学の力を活用しました。

結果、日立製作所は無理だったけど、
日立グループ企業に入社することができました。

よっしゃ!安定した会社に入れたから
これで安泰だ!って思ってました。

就職してしばらくはクソ使えない社員

で、無事安定した企業に入社できた僕ですが、
ここからは不遇、というか
自分が招いた結果で、
しばらくクッソ使えない社員でした。

入社することに頑張って
燃え尽きたというか、
就職した後も勉強するのやだっていう
そんな考えがありました。

あとは
引っ込み思案、シャイ、
人前で何かするのが苦手っていう
消極的スキルをいっぱい持ってたのも
効いてたと思います。

まず、自分のプライドが邪魔をして
わかんないことがあるのに聞けない。

電気系の仕事なのに
学生の頃の専攻じゃないから
わかんないと言って勉強しない。

あと「何考えてるかよくわからない」って
周りから言われる。

とかまぁ色々悪い評価が
掛け算で効いてきて、僕は部署異動

つまりお前イラネってことで
部署を転々とすることに。

サラリーマン時代、約13年の間で、
同じ部署に長期でいたことって少ないです。
僕の経歴はこんな感じ。

ハード設計(1年)

営業(1年)

ハード設計(1年)

営業(1年)

性能評価(2年)

プログラム開発(2年)

SE(3ヶ月)

プログラム開発(2年)

他社に常駐(5年)

とまぁ、今思っても最初の4,5年は
ほんとどうしょーもない社員でした。

まぁ自分で巻いた種だから
自分のせいだと今では認めるけども。

当時は「なんで俺だけ」って
アホな考えで仕事してました。

ただ、逆にいうと、
会社の中でいろんな体験ができて
今ではまぁある意味よかったかなと。

で、そんなクソ人間だった僕の心を
入れ替えるきっかけとなったのが
プログラム開発。

初めて楽しいと思った仕事だった。
だから長く続いたんだと思う。

「これ自分に合ってるな」
「プログラム書きたい!」
初めて仕事に意欲的になったと思う。

「うおおおおお!」って感じで
自ら進んで勉強した。

あと仕事形態が1人でやってく感じっていうのも
コミュ障な自分にとってありがたかった。

でも部署の業績が悪く
解体するかもってことで
人員の削減が始まった。

この影響を受ける8割以上は新参者。
つまり新入社員とか
部署を移ってきたばかりの
僕のような存在から優先的に切られていく。

で、それに漏れず僕は
対象となってSEの仕事に移った。

SEが嫌で嫌で仕方ない
逃げる方法を考えてFXで80万円溶かした話

SEの仕事は移った瞬間から嫌だった。

東京の方に勤務先があったので
電車で片道2時間くらいの通勤。

顧客都合に合わせるために
朝4時に出勤したり、夜3時に終わったり、

あと人の入れ替えが激しいし
はっきり言って無法地帯。

なのに周りの人は

「やらなきゃいけないから」
「仕事だからと」

目の前のことに取り組んでいる

それを見て僕は

「何こいつら笑って仕事してんだ?」
「アタマおかしいのか?」
「何が楽しいんだ?この仕事」
「消耗するだけじゃん」

って本気で思ってた。

ハッキリ言って今でもそう思ってる。
あれは人間のやる仕事じゃないって。
(もしSEの人がいたらゴメンなさい)

なので、ここにいたら
自分は死ぬだろうと本気で思ったので、

「なんか仕事辞めることできないだろうか?」

初めて本気で考えた。

安定した企業に入社したのはいいけど、
自分の行いもあって
日々辛いことばかり。

この時28歳。定年まであと30年ある。

「ずっとこんな感じで続けれるのか...?」

「いや、無理だろ」

「なんか抜け出せる方法考えよう」

と思って、実践したのが、
不運にもFXだった。

ちなみに僕のFX歴は1ヶ月。
この間に僕は80万円溶かした。

ど素人が
スキャルピングトレードになんか
手を出すからこんなことになった。

失った分は取り返す!
そう意気込んでも惨敗続き。

トドメを打ったのは
トランプ政権発足による急激な円高。

僕は逆の方向で張ってたから
そこで一気に50万円を失った。

なんかこの時はもう
「死のうかな」なんて
本気で思ってた。
何やってもダメだし、副業にも失敗するし。

包丁を持ってみるも
でも自分を斬り行ける勇気がなくて

僕の中でかなり追い詰められてた時期だと思う。

仕事もかなり休んだ。
3ヶ月SEの仕事についてたけど、
半分は有給使って休んでた。

で、思い切って職場上長に

「僕このままだと精神的におかしくなります」
「無理だから部署異動させてください」って

泣いて頼んで元の部署に戻してもらった。

それだけ嫌だったんですよ。
心の底から嫌だった。

で、元のプログラム開発の部署に
戻って来れたのは良いものの、
業績が悪いのは改善できず、
完全に解体されたんですけどね。

で、また部署移動。

SEから解放されたのはいいものの
このくらいから雇われて働くのって
なんかヤバいな、無理だなって
思えてきました。

ネットビジネスに出会ったきっかけ

こんな僕でも
周りの人に遅れながらも
30歳の時に結婚できた。

お相手はプログラム開発時代に
職場に派遣に来てた派遣の女性。

家が近くて、話も合ったし、
「この人となら」と思って
思い切って行動した結果、結婚に至った。

家も35年ローンで買った。

何となく一般的に考える
普通の暮らしっていうのが
出来てるのかなって感じはしてた。

ただ、このままサラリーマンを
続けるのかっていう自分の中の疑問
モヤモヤは晴れずにいた。

ぶっちゃけ嫌だった。

家族のためにとはいえ、
このままサラリーマンを続けるのかと。

結婚すると、一人暮らしの時より
家族と一緒にいたいと思えるようになる。

家族と共有する時間が欲しい。
でも生活していくにはお金が必要だし
ローンを返していかなきゃならない。

30歳で35年ローンを組むと65歳。

僕はこの先
どんどん出世してっていうのは
これまでの経歴上考えられなかったし、

サラリーマン定年を迎えても
まだ働き続けなきゃならない。

やっぱり冷静に考えて

いやいやいやいや
無理無理無理無理と

なんかもう頑張るにも
内心、精神的に限界が来てた。

家族のためにとは言いながらも

少なくともこのままローンを返すまでは
サラリーマンを続けるのかと。

サラリーマンは月に一度
給料が支給されるというのが一般的。
他からの収入は基本無い。

なので必然的に金銭的な余裕っていうのが
非常に得にくい。

それを補う為に、せめて働きながらでも
給料以外の収入を得たい。
つまり金銭的な自由やゆとりを得たい。

かといってもうFXのような
リスクありすぎなものには手を出せない。
なんか良い副業ないかと思って
出会ったのがネットビジネスでした。

ネットでお金を稼ぐ方法みたいな記事を発見して

  • アフィリエイト
  • ブログ運営

などなど。
ネットで稼ぐ世界があるんだなと。
でしかもあんまりお金かけずにやれる。

「何だこの世界?」
「もっと知りたいわ」
「とりあえずやってみようかな」と

別にやってもバレないっていう
ネットの情報を頼りに。
(日立は副業禁止なんですよね)

実動が絡むような副業だと
一発バレるけど
こっちは確定申告さえちゃんとやっとけば
バレないと。

じゃあもうやるしかないじゃんみたいな。
そんな感じでした。

この時仕事はというと、
脱サラまでお世話になる
他社での常駐業務でした。

ぶっちゃけた話、日立よりも
常駐先の方が会社の雰囲気が合ってたし
時間にきっちりしてるし、
仕事内容も最先端のもので
大変だけど毎日が楽しいって言った感じです。

仕事内容には不満を持ってなかったけど、
サラリーマンであることには
不満を持っていた。

もっとお金が欲しい、
ゆとりのある生活がしたい。
折角家を買ったのに堪能できないなんて
もったいないじゃないか。

当時年収500万円ちょっとくらい。
僕の基準では、
年収1000万はかなりの金持ち。
年収2000万になると超超金持ち。
といった感じで、

はっきりいってそれ以上は
想像したこともない。

が、この世界では
年収数千万なら寝てても入ってくるみたいな
理解不能レベルの人間がごろごろいる。

超怪しいなと思いながらも
内心僕はワクワクというか
未来への期待感が半端なかったのを
覚えてます。

初年度は50万円を稼いだ
けど目指すべきはもっと上なのだ

ネットビジネスは
Google検索で[副業 おすすめ]って感じで
を見つけました。

わからなくなったらググる。
それで初心者なりに必死こいて考えて
まずは1年続けようと。

Twitterは使わずにSEOメインで。
実際のところTwitterまで
手を伸ばしてる余裕なかったってのもあるけど。

で、3ヶ月くらいして初めてモノが売れた。
自分の持ってるディスプレイのレビューで
300円の成果が。

「すげぇ!これほんとに売れるんだ!」

売れるまでは超半信半疑だったけど
一回売れることで自信がつきました。
で半年経つ頃には月2万円は安定して
稼げるように。

また、季節限定の
アフィリエイト商品を扱ってたので
これが大当たり。
夏の3ヶ月間ほどで各月10万は稼げました。

そんなこんなで、
初年度のトータルは50万円ほど。

この結果を見て、
割と冷静だったっていうか

「なんかもっといけるんじゃねぇか?」

「なんかやり方悪くないか?」

っていうのが正直な感想でした。

というのも、
夏のアフィリエイト商品で10万円稼ぐ以外は
2万円〜3万円を半年の間
行ったり来たりしてたんです。

「収益ってどんどん伸びてくんじゃないの?」
「全然伸びないんだけど」

記事を書いても書いても半年間は
売り上げが全然伸びず。

予定では根拠もなく5万円、10万円は
安定していけるかなって思ってたので
ちょっと誤算というか。

「自分はもっと稼ぎたいんだよなー」と
「で、多分稼げるんだよなー」と
少なからず売った実績があるので
そう考えました。

だけど、なんか収益が上がっていかない
成果として現れてない。

つまりその正しいやり方っていうのが
よくわかってないから
こういうことが起こってるのかなと。

ということで記事を書くのは一旦休んで
ちょっとこの辺について調べてみるか、と

なんか月100万円とか200万円稼いでる人を
徹底的に研究、分析っていうのを
1ヶ月ほどやってみました。

で、稼いでる人の特徴で
『仕組みを作る』っていうのが
キーワードみたい。

「でもその仕組みって具体的に何やねん」と、
細かい情報までは出てきませんでした。

で細かい情報を知るには
この教材を買って勉強しましょう、と
そんな感じの流れ。

散々怪しいと言われている情報商材だけど
これ買ってみようかなと。

なんかこのままやってても埒があかないし、
自分で調べるのも限界だし、
とりあえずまとまった知識が欲しいと
思ってたので。

その情報商材は5万円。

「高いなぁ」
「役に立たなかったらどうしよう」
「騙されてるんじゃないか」

って感じで
もうそりゃ超ビビりながら買いましたよ。
クリックする手は震えてたかな。

手を振るわせながら「頼むぞほんとに」って
思いながら決済のボタンを押しました。

もうあとは信じてやるしかない。
ここから教材を使った勉強の日々が
始まりました。

50万円稼ぐのに1年もいらないじゃん
最初の1年何だったんだって話

情報商材の中身は
「あ、なんかまともなこと言ってるな」って感じで
信頼できたので素直に学びました。

ただ受け入れ難い事実もあって、

簡単に言っちゃうと、
今までやってきたことは
正しくない形だから
一度全部捨ててこの教え通り
やってください。

スーパー胡散臭い書き方ですけど、
まぁこんな感じです。

まじか、一年やってきたものの延長線に
何かプラスするわけじゃなくて
全くのゼロから始めるんかい
エグいなぁ

って思ったけど、まぁとりあえず
信じてみることにしました。

今まで作ったブログはそのままにして
新しく『仕組み』を作ってみようと。

何故なら僕はいつしか、

副業で給料+αの収入が欲しいって考えから
副業でめちゃめちゃ稼いで
ローン繰り上げ返済して
サラリーマン辞めたい!

っていう考えに変わっていたから。

で教え通り実践して3ヶ月、
ひとまず『仕組み』ができた。

そしたらどうか?
その月に10万円稼ぐことができた。

正直ビビった。ビビりまくった。
一年前のあの頃は確か1000円くらいだったはず。
それが10万円とは...!

しかもまだ作った『仕組み』は
完成には程遠い
ちっちゃいちっちゃいもの。

「これ強化してけばもっといけそうだな」

そんな謎の自信、というか
10万円稼いだ実績と教材の知識があるから
そう思えてきました。

で、『仕組み』を強化してさらに3ヶ月、
この頃には月収30万円になりました。

『仕組み』を知ってから
この半年で仕組みで稼いだ金額は
105万円です。

その後も収益は増えて
ついに月収100万円を達成。
しかも一発屋じゃなくて安定的に。

なんかこうサラリーマンとは違って
やった分だけ成果に現れるっていうのが
とんでもなく嬉しくてたまらなかったのを
覚えてます。

その後も『仕組み』の強化を続けて
35年ローンを4年で繰上げ返済して
辛かったサラリーマン生活に
別れを告げることができました。

そして今では起業して
ネットビジネス一本で
飯を食べています。

現状を変えるには
異世界への挑戦が必要だと思う

人生っておもしろいもので
半年や1年あればホントに
別の人生みたいに変わるんだなと。

それこそ
ほんの数カ月でも1つに本気で取り組めば
いくらでも人生は良いほうに変わります。
まずは1ヶ月でも。

そしたらなんとなく方向性がみえて、
マンネリ化していた人生に
エネルギーが充填されて、
やる気が溢れてきます。
単純に人生も楽しいです。

35年ちょっと生きてきましたが、
このネットビジネスに触れた数年が
一番人生を大きく変えたと思います。

変化のある人生って
おもった以上に楽しいです。

その為にまずは1歩を踏みだすというのが
いかに大事かということを
僕が身をもって実感したことです。

最後に、僕の理念と人生観について

ここまでで、
僕がどういった人間なのかが
少しは知ってもらえたかと思います。

1つよく誤解されるのですが、僕は
自由な人生=仕事をしないこと
とはまったく考えていません。

会社員をやってもいいと思うし
ビジネスだけやってもいいと思うし
両立したって良いと思っています。

人の人生それぞれなんだから
自分に合っているものを選択すれば
良いのかなと。

楽しければいいし、
人生に満足できるならそれでいいのです。
どっちにもメリットがありますからね。

ただそれと同時に
可能性を知らずに道を選択するのは
もったいないとも考えています。

人生うまくいくことばかりではなく
僕のように会社の仕事がくそつまらんとか
FXで80万円溶かしたとか
そんなことはいくらでもあります。

そんなときに僕は運よくこういった
インターネットの仕組みで生きる
世界があることを知れました。

こういった世界を知ることは大事だと思うし
僕が伝えていきたいことの1つです。

で、可能性という意味でいうと、
一度ネットに仕組みを作ることで
人生の選択肢はごまんと広がります。

仕事をするもしないも
自分の意志で決めることができます。
心にゆとりも生まれます。

今は、いい意味で
自分が何をやってもいいやと思っています。

だらけてもいいし(だらけないけど)、
極端な話、大事な日に寝坊してもいいし、
なんなら貯金も家も全部なくなったとしても
面白いかなくらいにおもっています。

極端な話だけど。
でも命さえあればビジネスの知識がある限り
いくらでも再起できるからです。

これもまた、知れたというのが
でかいです。

ですから僕のスタンスとしては
ネットでよくみかけるような
自由奔放な生活もたしかにいいですが、

それ以上にだいじなのは
新しい世界を知るということ。
そして受け入れようぜということです。

常識を常識と思わず、
なんでもフラットに受け入れることで
自分の世界のちっぽけさに気づけます。

ミスったっていいいんすよ。
人生のどっかでミスっても
情報1つで人生が変わるなんてことは
いくらでもありますから。

ネットでちょろっと稼いで独立するなんて
東大に入ったり、
大企業で出世していくよりも
よっぽどラクすぎてちびります。

これも知らなければ
まじかよ、嘘だろ…って話ですが
現にそういった世界なのです。

生まれ持った才能に関係なく
後天的になにを学ぶかです。

知識はぜったいに裏切りません。

まわりで出世してく同期の
キラキラ人生を横目に、
意識がくそ低かった僕でも
知識を得ることで道は広がりました。

勉強することでお金が増えるし
不安だったことも全部ぶっとんでいくし
こんな楽しいことはありません。

人生で選択できることが増えます。
情報に触れること。
勉強することがすべてです。
そしたらワクワクは尽きません。

このブログで発信していきたいのも
そういった世界です。

常識にとらわれることなく、
ぜひ世界を広げていきましょう。

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追記。

僕はどこにでもいるような
普通のサラリーマンでした。

 

子供の頃は引っ込み思案な性格で
人前に出て何かするのは超苦手。

 

将来の夢とかは特になく
とりあえず福利厚生がしっかりしていて
安定した企業に入りたいってことで
日立系列の子会社に入社。

 

ただ、毎日つまらない
会社と自宅の往復。片道2時間。
なかなか上がらない給料。
ウンザリしてました。

 

そんな僕でも結婚し、家を買いました。

 

ただ、ある時
・ローンをあと30年払うのはしんどい
・あと30年会社勤め続けるのはゾッとする

こんな思いが爆発して
禁止されてた副業をコソコソ開始

始めたのは情報発信ビジネスっていう
ネットビジネス

 

紆余曲折ありながらも
コツコツ続けたその結果、
今ではネットだけで月収200万円以上を
稼ぐことができてサラリーマンを辞めました。

家の35年ローンも4年で繰上げ返済できて
今では金銭的な自由と時間的な自由を
手に入れて、家族で充実した生活をしています。

 

今は月収500万円目指して
日々インプット&アウトプットに励んで
挑戦を続けています。

 

下の記事では
僕が起業してどのようにして今に至るかがわかります。

→ユウのプロフィール

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